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震災当時のままで、何も進んでいないというのが実感です。
多くの被災地に共通しているのは、人がおらず生活を感じさせるものがないこと、一年以上経過した今でも潮の臭いが引かないこと、新築の建物がほとんどなく更地が広がったままであること。 そしてそんな状態であっても、桜やタンポポは美しく咲いているのです。 1日目に、名取から閖上、荒浜付近を走りました。 道路脇に小型船が打ち上げられたままだったり、民家の1階が完全に破壊された状態だったり、林の木々が塩害で立ち枯れていたり、いくら走ってもそんな光景が終わらずかなり広い地域に被害が及んでいるのがわかります。 海からずっと平坦な畑などが続いていて、周囲に高層建築物や標高の高い場所がなく、確かに避難のしようがないように思えます。 2日目は、石巻~女川~雄勝~南三陸と、最も被害が深刻だったルートを走行。 石巻 最も海寄りにある大きな工場群は随分復旧している様子でした。 走った道から見える範囲の一般住宅は比較的原型を留めているものが多かったものの、1階部分は軒並み壊れたまま放置されています。 TVによく出てきた缶詰の形をした巨大なタンクが転がっているのもここで、圧倒的な津波の威力がよくわかります。 石巻は3,837名という最も多くの犠牲者を出した自治体なのですが、今回通った日本製紙などの工業地帯周辺では、その数字を実感できるような光景を目にすることはできませんでした。 道路脇の海砂が堆積している小さなスペースに、鮮やかなチューリップがぎっしり咲いているのを目にして、希望を失わない人間の強さが伝わってきました。 朝の通勤時間帯だったせいか活気があって交通量が多く、カメラを構えるのには抵抗があったため、画像は撮っていません。 女川 R398で数キロ進むと、すぐ女川です。 息を呑む光景とは、まさにここのことを言うのではないでしょうか。 海と山に挟まれた街全体が、20mの津波によって完全に消滅しているのです。 建物が密集していたはずなのに、平坦な更地と化していて、視界を遮る物がありません。 平地に残っているのは、基礎ごと横倒しになったままの鉄筋コンクリートのビルのみ。 そんな中、高台にある町立病院は1Fまで浸水したものの、大きな損傷はなかったようです。 町内のがれきはほとんど撤去されているため、余計に何もない空間が広く感じてしまいます。 雄勝 石巻市に含まれる地域で、女川の北に位置します。 R398を走っていると、海の向こうに雄勝病院が見えますが、遠目からも全く人の気配はありません。 ここでは患者・職員70名が3Fの屋上に逃げたものの、64名の方々が犠牲となっています。 雄勝は硯の名産地だったそうですが、伝統産業会館も全壊し、今後その技術が継承されるかどうかが心配です。 南三陸 ここも想像以上の甚大な被害を蒙っていました。 街に人々の生活があったことを示すものは、本当に何も残っていないという恐ろしい現実。 平坦だった市街地中心部には、有名になってしまった防災対策庁舎を残して、何もありません。 鉄骨がむき出しになった建物は3階建てて、そばに行けば見上げるほどの高さがあるのに・・・津波は最上部のアンテナまで押し寄せました。 まさかここまでは、と誰もが思ったはずです。 志津川病院をはじめ大規模な鉄筋の建物のいくつかは形を残してますが、内部は4階や5階まですべて流されています。 あちこちで基礎ごと横倒しになったビルは、常識では計ることのできない津波の破壊力を示しています。 防災対策庁舎では41名、志津川病院では75名の方々が犠牲になっています。 どの地域も具体的な未来図が描かれていないので、新しいものを作ろうにも動けないのだろう。 復興はおろか復旧すら手付かずの現状は、主導すべき政府と国が何も実行していないことの証明であることがよくわかった。 個人の努力に過分の期待を求める彼らの姿勢は、明らかに間違っていると思いませんか。 住民が以前に近い状態で生活を送ることができるのは、一体何年後のことだろうか。 再訪を喜ぶことができる日は、来るのだろうか・・・。
by gs_kanzan
| 2012-05-04 23:05
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